TOPIC冨永の活動、講演、講座、メディアへの寄稿、
メディア出演などをお知らせします。

UP DATE2024年06月10日 (月)

京都大学大学院工学部藤井研究室にて、冨永が「過剰医療」の改善に貢献することを目指す研究を開始します。

2024年4月より、冨永が京都大学大学院工学部都市社会工学藤井研究室 博士後期課程に社会人特別枠で進学し、「『公益』に資する医師の医療行為における意思決定についての処方的研究」と題した社会課題の改善を目指す実践的研究を開始いたします。

指導教員である京都大学大学院工学部都市社会工学科教授 藤井聡氏は

・第2〜4次安倍内閣で内閣官房参与
・内閣官房参与 ナショナル・レジリエンス(防災・減災)懇談会座長
京都大学レジリエンス実践ユニット長
カールスタッド大学客員教授
『表現者criterion』編集長

を務められ、社会工学・国家社会危機管理・経済・公共心理学・政治思想を専門とされています。
その活動はいずれも、際限なく衰退する日本を救うためのクリティカルな政治判断を促すもので、冨永は学生時代より藤井先生の言論・実務活動に感銘を受け、共に活動させていただくことを目標としていました。

正義のミカタのコメンテーター、東京ホンマもん教室などのメディアを通して藤井先生をご存知の方も多くいらっしゃるのではないかと思います。

藤井聡先生は医療の課題にも深い関心を示され、
医療界全体の課題として、過剰医療の構造を指摘、研究テーマとされています。

2022年には、本研究の先行研究となる
医師アンケートに基づく過剰医療の実態に関する研究
都道府県の医療費と住民の健康度の関連性に関する実証的研究

を実践政策学 第 8 巻 1 号に藤井研究室のチームで発表されています。

冨永が従事する「『公益』に資する医師の医療行為における意思決定についての処方的研究」は、
上記先行研究によって明らかになった過剰医療を改善させるための方略を明らかにすることを目指す研究となります。

(写真 先行研究によって明らかになった過剰医療の実態)

 先行研究より

・医療機関の利益の追求のために選択される医療行為が存在していること
・患者の健康に資していない過剰な医療行為が一定以上存在していること
が示されています。

 これらの社会課題をどのように改善していくかを、藤井研究室で研究していくわけですが、実際に改善を目指すためには、社会課題を多層的に分析した上で何をどのように変化させることで改善に向かうのかを示す必要があります。

この多層的な分析において重要となる前提として、
・医療費の増加の成因の確認
・医師が過剰医療を生み出す構造の把握
・医療に関わる国家の権力の確認
が挙げられます。

本文では、

(ⅰ)医療費の増加の成因の確認
(ⅱ)医師が過剰医療を生み出す構造の把握
(ⅲ)活路は何処に?
の順番に、本研究の意図(と冨永が認識していること)を議論していきます。


(ⅰ)医療費の増加の成因の確認
A .空間的分析
 先行研究で明らかになったように都道府県間の年齢調整後の一人当たりの医療費の多寡は10万円の桁の分布があります。これらは、概算で10万円 ✖︎ 1億人=10兆円規模の過剰医療が存在している可能性を示唆しています。
健康に支障が出ない範囲で最も少ない医療費を達成している都道府県に習えば、10兆円に迫る医療費の削減が見込まれるのであれば、年間の国民の医療費45兆円の約20%を削減できるということになり、大きなインパクトとなることが分かります。もしくは、この10兆円規模の医療の質をより患者の満足度を増加させるために変容させることも目指すことできるはずです。


 上図にあるように、年齢調整後の一人当たりの入院医療費と病床数の間には相関関係があり、一人当たりの入院費の多寡もまた10万円台の位で推移していることが分かります。このことより、入院医療に過剰医療の主たる実態があり、それが都道府県によって人口当たりの病床数にバラツキがあることに起因していることが推測できます。

(写真:厚生労働省 平成30(2018)年医療施設(動態)調査・病院報告の概況より)

都道府県ごとの年齢調整後の医療費は高い順に
高知、福岡、佐賀、鹿児島、長崎、北海道、大分、熊本、山口、徳島

都道府県ごとの人口当たりの病床数が多いのは順に
高知、鹿児島、熊本、長崎、徳島、山口、北海道、佐賀、宮崎、大分

と多くが重なっていることも、このことを支持しています。

(写真:厚生労働省 平成30(2018)年医療施設(動態)調査・病院報告の概況より 先のグラフの病床別の評価)

 さらに、病床のタイプ別に比較するとより都道府県ごとの差が大きい病床のタイプとして、
療養病床と精神病症が挙げられること分かります。
このことより、本研究では、特に療養病床と精神病症の病床数が多いことによって生じている過剰医療を適正化するための方略を探ることに意義があると考えられます。

また、これらの病床数の多さが健康以外の価値の提供=患者や家族の幸福への貢献に寄与しているかについては留意が必要です。

日本の人口あたりの病床数・病院数は、世界でもっとも多いことは有名ですが、その原因は戦後の医療政策にあると考えられています。日本の医療は、自由開業制と医療法人主体の経営という特徴を有しています。他国に比べて、開業が容易で、病院運営が民>官によって担われているという特徴があります。

特に、1985年に第一次医療法の改正が施行されるまでは、一貫して病院・病床の増加を促す政策が継続されました。戦争で破壊された医療基盤の再建と量的拡充に力を入れられ、国立病院や公立病院の整備が進められ、さらに1950年に、非営利の医療法人制度が導入されると、民間病院の設立が促進され、1955年から1965年の10年間で民間病院の病床数は約2倍に増加しました。1960年には医療金融公庫が設立され、医療施設の新設や拡張に対する低利融資が提供されました。このように、医療法人・病院・病床を増やすことを促す制度が運営されていたという特徴があります。

高度経済成長、医療の高度化、人口の増加、高齢者医療の無料などの制度の状況下で、病院の開設・運営に対する投資が盛んに行われ、病院数・病床数は無法図に増えてしまうきらいがありました。

1985年に医療法改正(第一次医療法改正)によって、都道府県ごとに医療計画を策定し、病床数の地域間の偏在を是正するための病床規制が導入されました。これにより、医療施設の機能分担が明確化され、病床数の増加に歯止めがかかることとなりました。

現代の日本の病床数・病院数が世界で群を抜いて多いことは、戦後の日本の医療政策の弊害によるものと言えるのではないでしょうか?

B .時間的分析

医療費は増加の一途を辿っていますが、その原因は何なのでしょうか?
その二大要因は高齢化と高度化であることが知られています。


写真 医療費の伸びの要因分解 厚労省公式資料

高齢者が増えていくことは、人口動態から推測して動向を描き出すことができます。高齢者の人口は2040年代にピークを迎え、後期高齢者が人口に占める割合は2055年頃にピークを迎える見通しとされています。当面は、高齢者人口による病を抱えた人口の増加に伴い医療費は自然増します。これは仕方がないことですが、一方でその増える医療需要に物理的に対応できるか?という観点から計画を立てておくことは死活問題となります。

次に、高度化による医療費の増加ですが、医療の高度化には二つの性質があります。
一つは、高度化を目指す事業が良いこととされていることで、もう一つは製品が医療費(9割が公費)として購入されることです。開発を行う製薬メーカー・医療機器メーカーは競争原理・投資・増益の追求という資本主義の世界に身を置いています。彼らには、これまでよりも治療効果の優れた製品を開発し、収益を増やすというインセンティブが存在します。そうして誕生する新たな製品は、仮に医療費を押し上げたとしても患者を健康をするために有用であれば、保健医療において取り入れられていきます。こうして、医療の高度化は無限に進むのです。

 高度化された医療は、健康に資するという理由で患者への提供が推奨されています。これは全くの善意によるものであろうが、医療の発達によって過酷な治療・副作用に苦しむ患者だって増える可能性があります。より全身状態が悪い状況においても打てる手はあるという理由でハイリスクな治療が進められ、最期の時が「天寿の全う」ではなく「病気への敗北」に移行しているのも事実であると思います。高度化した医療は、やらなければ最期を迎える患者に対して、「ハイリスク」であるがやってみる価値があると思われる治療の選択肢を提供し続ける。「お迎えが来た」という自然な死は、医療が発達するほどに失われていく。健康や寿命の延伸以外の価値を追求するという、患者と医療者の意志がなければ、治療は持続されるという構造が存在しています。

(ⅱ)医師が過剰医療を生み出す構造の把握

C . 病院の6割が赤字

医師が過剰医療を生み出す誘因となっている構造として、病院の経営状態が挙げられます。実に6割以上の病院の経営が赤字であり、多くの病院がより儲けるためというよりも破綻しないために収益を上げなければならないというインセンティブが存在していることが示唆されています。
病院の経営が赤字であるということは、病院が必要とするランニングコストに対して、収益(診療報酬)が不足していることに起因しています。このことは、医療が供給過多である可能性を示しています。

一方で、医療需要は一定ではなく、例えば最も我が国で死亡者が多い月(12月)と少ない月(6月)では1.4倍の差があり、単純に考えると、12月の医療需要に対応するように経営すれば、6月には30%近く供給過多になってしまうことになります。また、Covid-19などの流行感染症や災害時の医療を考えると、医療需要の急な高まりに対応するためには病院は一定数の空室をも有しておくことも必要と言えます。また、高齢化が進み多死社会を控える我が国で医療の需要は年々増加することが予測されるため、医療の供給過多は将来の医療需要に応えることにも貢献しうると考えます。

病床稼働率は病院の種別によるものも、8割〜9割が経営上の目標とされることが一般的です。しかし、過剰医療を生み出す原因になることと、医療需要の高まりに対応するために一定の空室を確保しておくべきという観点からは、病床稼働率を目標にすることや赤字を問題視すること自体が生み出す不合理の是正が必要なのではないでしょうか?

D. 生権力の呪縛

次に、医師の仕事を支える政治的な権力が医師を縛っているという側面があります。
医師法の第一条には、「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な. 生活を確保するものとする」とあります。もちろん、健康の定義は多義的であり、身体だけでなく、精神・社会的または実存(スピリチュアル)な健康もその中に含みうるものですが、この医師法の重要な法的特性は、医師が働く正当性はどこにあるのか?という点にあります。

医師は、手術をしたり投薬をしたりと身体に侵襲的な、時に致命的な転機をもたらす医療行為を行うことができます。医師以外が行ったら、これらは犯罪行為になるのですが、医師は健康のためであれば、患者の体をメスで「ずたずたに」切り裂くこと(=手術)も可能なのです。

それは何故かというと、国家がこのような行為をする医師を雇う権力を有しているからです。

つまり、現代の国家には、国民を健康にする権力、世の中の公衆衛生を高める権力を持っているということになります。この権力のことを生権力と言います。生権力は、国民の生殺与奪を決定できる権力の派生であり、国民の生を管理し死・健康の毀損・公衆衛生上の荒廃を制限する権力と解釈することができます。

そうすると、困るのは国民の健康と幸福が一致しないケースです。
生権力は、基本的にゾーエ(身体としての生)を生かすために働きます。即ち、防ぎうる死は防がなければならないという至上命題が医師には降り掛かっています。
これに対抗する権力は、患者の自己決定権ですが、自殺幇助が違法であるように、死をめぐる患者の自己決定権は限定的です。

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この構造が際立つのが、「一度始めた治療をやめられない問題」と「救急車できた患者は救命されてしまう問題」です。どちらも、患者の命を救うことはできても、患者に望まない最期の時間を強いる可能性があります。さらに、患者の意思決定が認知症などで困難な場合にはこの問題はより難しくなります。

D-1.「一度始めた治療をやめられない問題」

一度始めた治療をやめられない問題は、ある疾患を抱えた患者に対して酸素投与や投薬、人工呼吸器などの治療を開始し始めた場合、その治療をやめるという判断を行うことがとても難しいという問題です。始めた治療によって患者が生きている場合、その患者は防ぎうる死としてみなされます。一方で、その治療をやめることは、積極的に患者を死に向かわせることになり、かなりハードルの高い選択となります。患者や家族が治療上の苦痛を理由に治療をやめたいと伝えても、実際にはやめると医師側が選択しづらい構造があります。この問題は、自殺幇助・安楽死・尊厳死などのキーワードで議論される非常に繊細なテーマと言えます。

D-2.「救急車できた患者は救命されてしまう問題」
救急車で救急外来に受診された患者は、その時点で救命の意志があるものと見做されます。救命のための治療をされた場合、救命はできたものも、管に繋がれ、家に帰れない、長い入院生活の先に望まない死を迎えるというケースは少なくありません。救急車を呼んだ家族・本人・友人も助けた医療者にも罪はないと思いますが、これも一度始めた医療行為はやめがたい=防ぎ得る死は防がなければならないという文脈の中で、患者の幸福と健康が矛盾し得るケースです。

これらの問題は、医療における意思決定の困難さを象徴していると言えるでしょう。患者・家族は善意で、医療者も善意と生権力によって、不可抗力的にこれらの矛盾に直面することが多くあります。幸福とは何か?、善とは何か?という哲学的な問いを前に、法改正を含め慎重な議論が必要な課題とされています。

(ⅲ)活路は何処に?

 私が本研究の成果が社会に与える影響として期待するのは、近代化して発達した医療と私たちがどのように向き合い、助け合って生きて、人間としての一生を全うするのか?という現代の人類にとって最重要な問いの一つに貢献することに他なりません。
人は必ずなくなるものです。生命の歴史を辿ると、20億年ほど前に古細菌に細菌が飛び込んだたった一回の奇跡(細胞内共生)によって、真核生物ができた時に、私たちは豊かな生と引き換えに「死」ができました。

豊かな生とは、多細胞で生きることによる生命の遥かな多様性と有性生殖に他なりません。これらは、ミトコンドリアの誕生によってもたらされたのですが、このミトコンドリアが真核生物にもたらしたもう一つの運命が死であったのです。真核生物は、自分は死ぬがパートナーと助け合って子孫を残すことで、生命を繋ぐという生存の摂理を、20億年前より担ってきました。
私たち人間もまた、この生・性・死という3つの運命の中に生き、命を繋いでいます。

ミトコンドリアが進化を決めた みすず書房

さて、死という運命をどのように捉えたらいいのでしょうか?
この問いに示唆的な見解として、終末期医療の実践者であった医師 中村仁一氏(1940年 – 2021年)は、ベストセラーとなった「大往生したけりゃ医療と関わるな『自然死』のすすめ」の中で、寿命による死=「自然死」の仕組みについて解説しています。

中村氏は、自然死の実態は「餓死」即ち「飢餓」と「脱水」であるといいます。そしてこの終末期における飢餓は、生命力が弱ったことで食事を受け付けなくなる生理的なものであって、一般の飢餓という非常に辛いものとは異なるとして主張しています。飢餓では、「脳内にモルヒネ様の物質が分泌され、いい気持ちになって幸せムードに満たされると言います」とし、脱水では「血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がって、ぼんやりした状態」になると、中村氏は述べています。さらに、死の間際になり呼吸状態が悪くなることで、「酸欠状態でモルヒネ様物質」が産生され、二酸化炭素が貯まることについては「炭酸ガスには麻酔作用があり、これも死の苦しみを防いでくれています」と述べています。

この見解の一部始終が医学的に統一的な見解であるかは議論があると思われますが、一定以上共有されたこの終末期に対する見解は、生命が「死」を予め想定し、その苦しみから本人を救うメカニズムを有しているという驚くべき生命の性質を私たちに提示しています。
人体がそもそも、死に抗う生理メカニズムだけではなく、死に向かっていく段階に応じて苦痛を取り除く、死に合目的的なメカニズムを有しているのであれば、死を最期の時まで避ける延命的な医療行為は生命の原理に逆行しているとさえ言えるかもしれません。
この死に合目的な生理メカニズムについての解釈は深化の余地があるでしょうが、終末期において延命よりも重要なものがあるという見解は、一般的な終末期医療においても共有されているし、この衆知は国民の死生観を深めることに貢献するのではないかと考えます。

具体的には、研究によって意思決定の要素を多段階的に明らかにすることを目指すべきでありますが、おそらくこの過剰医療を是正していくプロジェクトは、国民の生命への理解、感動、納得感を持って推進されていくのではないか?と思います。

研究室の教授である藤井聡先生は、この議論を本格的に主導すべきなのは医者でもなく政治家でもなく「哲学者である」と述べています(https://www.youtube.com/watch?v=GMe5JGQCUbU&t=26s)。私は、この意見に大い感動し、賛同しています。

人々の霊性を巻き込んだ遥かな願いの集積として、人類史的なスケールの社会課題であるからこそ、社会科学的に要点を分析し、構造を明らかにする研究に意義があると考えます。

これから3年間を掛けて、「公益』に資する医師の医療行為における意思決定についての処方的研究」について研究を進めていきます。
みなさまに、ご協力を仰ぐこともあろうかと思います。
どうぞよろしく、お願い申し上げます。

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