PHILOSOPHY理念

私は偉大なもののために
行動せねばならない

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 偉大さとは何か? この最重要の問いが、人間から失われつつある。偉大とは何かを明らめることは、この世の本当の素晴らしさが一体何なのかを知ることである。その偉大さに自らの命を捧げることは、当然の帰結であった。むしろそれは問題ですらない、死はどう生きるかの延長であった。偉大なるものを受け止めることが、自己を生かす生命力の偉大さに額突くことが、人間の起点であったのだ。それは、自己の心に宇宙が流れる真の自由であった。

偉大さとは何か?それは、権力者になることでも富豪になることではない。思い通りに生きることでもない。それは、幸福とも違う。もっと、根源的に人間を突き動かすものなのだ。偉大なるものに触れた時、それが宇宙の本質であることを悟る。これが、魂の働きなのだ。魂は、哀しさに惹かれる。魂は勇気を求める。魂は、偉大さによって目覚め、偉大さに向かう行動を駆り立てる。

フランスの英雄シャルル・ド・ゴールは、偉大さを纏うことで、国家を一人で救った。「つまり、いたるところで凡庸さから懇請される時代にあって、わたしは偉大さのために行動せねばなるまい(「希望の回想」)」と述べるように、ド・ゴールは偉大さを意図した。ド・ゴールは、私欲の少ない素朴で温厚な壮年であった。彼は、魂を用いることで、偉大さために行動し、偉大さによって国民を突き動かして、国家を救ったのだった。

日本では、特攻兵士 佐々木八郎がこれに応じてみせた。「我々は我々にきまったように力一ぱい働くのみ。それ以上を望む事は神を冒潰するものというべきであろう。」と述べ、俺は世界史の進歩のために決まったように死ぬのだと、死を宇宙のレベルに昇華したのだ。

諸問題が乱立する現代においても、根本は変わらない。難題は、勇気あるリーダーのもとで、根気良く力を結集して取り組まねばならない。難題に対峙するところに、偉大さは立ち上がるのだ。そして、偉大さに向かうことが、人間が生存し続ける条件でもあるのだ。生存条件を満たさないで、生存意義が満つることはあり得ない。

わたしは、ヒューマニズム以後の文明の基盤となる世界観・生命観への貢献、心の生理に適った人間教育の確立、高度化した医療におけるより成熟した意思決定のための研究、存亡の危機となる我が国の危機管理の実務への貢献を通して、偉大さのために行動すると決意したのである。

令和5年9月 冨永晃輝

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